茶杓に銘をつけることについて、しばらく遠ざかりました。
そして、ふたたび銘をつける機会がときおり。
銘からいったん離れたのは、根本的には作り手としての慎み、または畏れから。ほかの諸道具、作家としての制作物の場合と比べてみて、とりわけ茶杓においては、銘をつけることが意味を持ちすぎることに対して。
いったん離れて、しばらくの時間経過と多くの機会を経て、また新たに銘との関係性が生じてきました。
ひとつには求められる機会、外からの要請によって。もうひとつには自分の内での言語化についての意識の変化、出力の試行があります。
人との関係性から生まれる言葉、あるいは言葉から生まれる関係。いまはそれらを楽しみながら。