暑い夏でした。「でした」と過去形で書いていますが、まもなくお彼岸に入ろうという本日も依然残暑、猛暑です。
こんなに暑い夏があったろうかと、毎年のように感じる近年においても、間違いなくいちばん暑く、長い夏でした。あまりに暑く、用事のないかぎりは外へ出かける気持ちにならず、ずいぶん不健康に過ごしてしまったという反省があります。
数少ない夏の写真を見返してみました。梅雨からお彼岸までの季節の移り変わりを、写真と共に振り返ります。このごろは仕事の話以外にはとんと更新しなくなっておりましたので、こちらも反省をしつつ心を入れかえて。
七月、八月、九月とずっと猛暑がつづいて、六月が遠くに感じられます。すでに記憶もあやしげで、梅雨らしく雨が降っていたような、そうでもないような。七月の京都と東京での展示に向けて準備をしていた時期でもあり、雨を気にしている余裕もなかったのかもしれません。
簡単な記録だけでもしておかないと、どんどん忘れてしまいます。
個展のために京都を訪ねてから早くも二ヶ月半が経ちました。あまりの早さにおどろかされます。写真の右側の川岸に茶室/茶藝室 池半、一棟貸しの宿 池半があります。
祇園祭の最中の京都、猛暑と豪雨のためにほとんど出歩きませんでしたが、京都の旅についてはまた改めて振り返りたいと思います。
七月に入ると雨がめっきり減って、連日の猛暑となりました。例年であれば七月の末が夏の盛り。八月に入れば徐々に太陽の力は弱まり、お盆の頃からは秋を感じるようになるはず......でしたが、令和五年、2023年の夏はそうではありません。
あまりにも暑い毎日、いつもより必死に日陰を探します。
コンクリートの建造物が作るアスファルトの日陰よりも、土の地面の木陰が心地よいのは、おそらく気のせいではないでしょう。緑のある道はありがたいものです。
自治体が整備した緑地以外の、名も無い空き地に生えた樹木、お屋敷の屋敷林、畑の脇の小さな並木など、点々とあったはずの緑が、わずかな年月のあいだにめっきり少なくなりました。個人、市民が無償、無言で公共に施してくださっていた小さな自然、当たり前に受け取っていた贈り物。失われてみて貴重であったことを改めて痛感することになります。
人間はさておいても、そこで暮らしていた野鳥や昆虫、もっと小さな生き物たちは、これからどこで暮らすのだろうかと、余計な心配をしてみたり。
「夏と冬ではどちらが好きか」という定番の質問に、積極的な気持ちで「夏」と答えられたのは二十代の頃。年齢を重ねるにつれ「冬の風情も捨てがたい」。やがて、暑いのと寒いのとではどちらがよりマシかという消極的な気持ちで天秤に掛けるようになります。パンデミックで外出をする習慣が途絶えたことも大きいような。
歳をとって耐久力がなくなっているという点は認めるとしても、絶対的な暑さもやはりエスカレートしています。十年前にはエアコンをまったく使わずに仕事をしていた(当時ももちろん暑かったです)のが、もはや信じられない暑さです。
暑い、暑い、それしか脳裡に浮かばないのは、いかにも不粋で情けない。けれどこの夏を前にしては致し方ない、そんな二ヶ月、三ヶ月でした。今日もまた猛暑であることには違いがないとはいえ、さすがに年末まで残暑ということはありません。
正月にはいやでもマフラーと手袋をして、節分の頃には、はやく春になって欲しいと願い、桃の節句を待たずして、やはり冬の底冷えよりはまだしも夏、などと言い出しかねない、そんなことだけは同じように毎年の繰り返しです。
暑さ寒さも彼岸まで。この言葉を信じて、あともう少しだけ我慢しましょう。